南天豆知識

知っていると、もっと南天が好きになる、そんな豆知識をご紹介します。
古来より多くの人々に愛されてきた南天には、
広く知られていることから、実は・・・ということまで、
様々なお話があるんです。

南天の名前の由来は、どこからきているの?

南天はメギ科ナンテン属の常緑低木で、日本や中国などでよく見られる植物です。この南天、中国では古来、「南天燭」「南天竹」などの名前で呼ばれており、日本名の「ナンテン」は中国での名称を簡略化したもの。これが訛(なま)ってナルテン、ナッテン、ナピテンとも呼ばれるようになりました。
ちなみに、南天燭の「燭」は、南天の実が「燭〜ともし火」のように赤く、南天竹の「竹」は株立ちが竹に似ているからこう呼ばれるようになったそう。
赤い実をつける南天は食べ物の少ない冬には鳥の大好物なので、この赤い実が鳥にとって「燭」に見えるという由来もあります。

南天は、難を転じて福となす縁起木。

日本ではナンテンが「難転」~難を転じて福となす~に通じることから、縁起木として愛されてきました。
戦国時代には、武士の鎧びつ[鎧を入れておくふた付きの箱]に南天の葉を収め、出陣の折りには枝を床にさし、勝利を祈りました。正月の掛け軸には水仙と南天を描いた「天仙図」が縁起物として好まれたようです。
江戸時代になると、南天はますます縁起木として尊ばれるようになります。江戸の百科事典『和漢三才図会(わかんさんさいずえ)』には、「南天を庭に植えれば火災を避けられる。とても効き目がある(現代語訳)」という記述があります。江戸時代にはどこの家にも南天が「火災よけ」として植えられるようになり、さらには「悪魔よけ」として玄関前にも植えられるようになりました。
こうした習俗は今も日本の各地に残っています。

お赤飯に添える南天の葉に含まれる作用とは?

初節句や七五三など、お祝い事に南天の葉を添えて食べるお赤飯。赤い色は厄除けの力があると信じられ、江戸後期から慶事に用いるようになりました。井原西鶴の作品には「大きな重箱に南天を敷き、赤飯をたくさんつめて…(現代語訳)」という記述があり、江戸時代にも使われていたことがうかがえます。当時は病気が全快した時には「難を転じて」助かった幸運の印として南天の葉を表向きに添え、逆の場合は葉を裏向きにして不幸にならないようにと願いました。
今もお祝い時にこの習慣が続いているのは、厄よけだけが理由ではありません。南天の葉には「ナンニジン」という成分が含まれており、お赤飯の熱と水分により「チアン水素」を発生させます。このチアン水素にお赤飯の腐敗を抑える作用があるのです。
お赤飯に南天の葉。先人の知恵がつまった日本ならではの美しい習慣です。
南天の持つチカラを科学的に分析 南天研究所

南天を初めて見た外国人、ドイツ人医師ケンペル。

「豆つぶほどの紅葉の房を垂れ、とても美しい」。
欧米に分布していない南天を初めて見た外国人は、元禄3年から5年まで日本に滞在し、出島に初めて薬草園を作ったドイツ人医師ケンペルです。南天をはじめ日本の植物を描画で記録して祖国に持ち帰ったケンペルは、その記録を出版することなく亡くなりました。
それから約80年後。スウェーデン人の植物学者ツンベリーは、長崎、箱根、江戸の植物約800種類を採取して帰国後、『日本植物誌』を著しました。この本により日本の数多くの植物が学名を付けられ初めて世界に紹介されました。和名をそのまま属名に用いた南天(Nandina domestica Thunb.)がその代表例です。
ケンペルが南天を「ナンディン」と記録していたことを知っていたツンベリーは、ケンペルの業績にちなんでナンテンの属名を「Nandiana」と命名したのです。

お手洗いに南天の木が植えられた2つの理由。

昔の家のお手洗い(厠)は家の外にあるのが普通で、そのお手洗いの周りには必ずといっていいほど南天の木が植えられていました。これは「南天手水(ちょうず)」と称して、お手洗いに水がないとき、南天の葉で手を清めるためです。
もう一つの理由は、お年寄りがお手洗いで転んだり、倒れたりすることが多かったため、「南天の木につかまる」(難を転ずる)ことが目的でした。つまり、「不浄よけ」と「生活の知恵」の両方が備わっていたのです。
ちなみに現代では、南天の茎や枝には抗菌力のある「ベルベリン」(アルカロイドの一種)が含まれていることが医学的に証明されています。
南天の持つチカラを科学的に分析 南天研究所

pagetop