枕の下に南天の葉を敷くと悪い夢を見ない!?

中国には「邯鄲(かんたん)の枕」という故事があります。
盧生(ろせい)という青年が邯鄲という町で枕を借りて眠ると、次第に出世して栄華を極めた人生を送る。ところが目覚めてみると炊きかけの粟も炊き上がっていないわずかな時間だった…。
人生のはかなさをたとえる故事として有名ですが、この「邯鄲の枕」も南天の材で作られていたそうです。日本でも悪い夢を見たら床に南天を活けると悪夢が消え、枕の下に南天の葉を敷くと悪い夢を見ないという言い伝えが残っています。
今も南天の図柄をデザインした手ぬぐいや枕カバーが売られているのは、この故事が大切にされているからでしょうか。

南天が欠かせない京都・鞍馬寺のお祭り。


牛若丸が修行したことで知られる京都・鞍馬寺。毎年6月に行われるお祭り「竹伐り会式(たけきりえしき)」は、南天が大切な役割を担っています。 このお祭りは、青竹を蛇に見立てて伐(き)るというもの。竹を伐る鞍馬法師は腰に南天の枝葉を身につけるのが習わしです。鞍馬寺前貫首の著書『鞍馬山歳時記』によると、「毒気を吐いて襲う大蛇退治を儀式化した祭り。大蛇の熱気と毒気を解するために、効用第一のナンテンの葉が用いられるようになったのであろう」と記しています。
また、12月に行われる「火祭り」は、松明(たいまつ)をかつぐ肩当てと御輿(みこし)かつぎの男の腰に南天の葉をさすことになっており、どちらのお祭りにも南天が欠かせません。
鞍馬では寺の参道だけではなく、民家の庭にも南天が植えられているのは、大蛇退治のお祭りや厄よけに由来しています。

南天のルーツは弘法大師?奈良時代の出雲風土記?

南天のルーツを探ってみましょう。一説には平安初期の僧、弘法大師(空海)が804年、唐から南天を持ち帰ったという説があります。弘法大師が南天でできた古い杖を石垣に突き刺したところ「弘法も杖?の誤り」か、各地に南天が根付いたという伝説が残っています。
南天が初めて日本の書物に出てくるのは、藤原定家の『名月記』。この日記によると、中宮権太夫が南天竺を前栽として植えた」とあり、鎌倉時代にはすでに庭木としていたようです。
ところが、もっと前の奈良時代に編纂(へんさん)された『出雲風土記』には “南天燭”の文字があり、この書物に薬用植物の記載が多いので“南天燭”は“実南天(みなんてん)”を指しているとも考えられます。
こうしてみると南天はかなり早い時期に中国より薬用として渡来していたことになり、古い杖から根付いた弘法大師伝説も信憑性が出てきます。

赤い実に秘められた、種を運ばせる仕掛け。

庭先の南天や門松に飾った南天の実を鳥に食べられてしまった…。そんな経験はありませんか。
南天が全国各地に広まったのは、南天の実を鳥たちが食べてくれるからです。この赤い実は葉の緑と補色関係にあるため、鳥たちの目に鮮やかに映ります。熟して甘酸っぱいので鳥たちの大好物。食べた後は、鳥の糞に混ざって種子を遠くに運んでくれます。
南天の実は鳥たちには有毒な成分が含まれているため、鳥は食べすぎることなく、長期間にわたってたくさんの鳥のお腹におさまって全国各地にばらまかれていくのです。
昔の山村の子供たちは、冬に赤い実を求めて集まる鳥を仕掛けて捕る場合、この南天の実をまいてヒヨドリを誘ったそうです。

欧米でも観賞用として愛される南天の花言葉とは…。

南天の西欧での花言葉は、『私の愛は増すばかり』。ストレートで素敵な花言葉です。
この他にも「機知に富む」「福をなす」「良い家庭」といった花言葉があり、南天は贈答用としても使われています。
とくにアメリカでは人気が高く、当初は一般家庭の庭木として植えられました。現在では東北部の諸州の森林に野生化し、赤い実をたわわに実らせています。
ちなみに、南天の英名は、「sacred bamboo~聖なる竹」、「Heavenly bamboo ~天国の竹」。南天に神秘的なイメージがあるのでしょうか。

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